函館のこと
     文章のこと
     一月のこと
     奥穂高岳南稜の思い出                     目次へ戻る

 □函館のこと

  函館へ行ってきた。天候が不順だとかで予想以上に気温が低
 く、濃い霧や強い風の日があった。そのせいかどうか、観光客
 は少なく元町あたりにも修学旅行の子供たちの姿があるだけで、
 いたって静かであった。
  函館での宿は、函館山ロープウエイの山麓駅が目の前という
 「ホテル函館山」である。赤い大きな鳥居が正面に見える、護
 国神社坂を上り詰めた高台にそのホテルはあった。車を停めて
 今来た坂道を振り返ると、ゆったりとした幅を持った道の両側
 には、手入れのいきとどいた植込みが続き、その先は市街地に
 続いている。人や車の行き来はほとんどなく、静かであった。
  ホテルの客室からは函館の町が一望できた。市街地の左には、
 かつて青函連絡船として就航していた摩周丸を浮かべた函館港
 が見え、右には津軽海峡の海が青く大きな弧を描いていた。
  渡島半島の先端、函館湾に面した町函館は、アメリカ、オラ
 ンダ、ロシア、イギリス、フランスとの間の、いわゆる五カ国
 通商条約が締結された翌年の安政六年(一八五九年)神奈川、
 長崎とともに開港し、以来、貿易と北洋漁業により発展した。
  今、夜景で知られる函館山の山麓から港へ向かって行くと、
 そこには領事館や教会、赤レンガの倉庫群など、往時を思いお
 こさせる歴史的な建造物が数多く見られ、「函館市元町末広町
 重要伝統的建造物群保存地区」として北海道で唯一国の選定を
 受けている。
  元町の教会や洋館群はホテルから歩いてすぐの距離にある。
 このあたりは緑が豊かで、ゆったりとした空間が広がっている。
 いくつもの坂道は石畳や街路樹が良く整備されているが、それ
 は山麓の町並みの一部としてよくとけこんでいて、観光施設を
 思わせるような、わざとらしさはない。
  (下へつづく)



    函館に来て三日目は朝市をのぞき、そのあと赤レンガ倉庫
   群のあたりへ行った。函館山が正面に見えレンガの赤が美し
   かったが、ここは前述の元町あたりと反対に、車道や歩道が
   美しすぎて、忙しく荷を積み降ろしした頃の倉庫群の雰囲気
   がまるでなかった。
    夕方、立待岬へ行った。車を降りると猛烈な風が吹き荒れ
   ていて、海も空も暗かった。

    翌朝は荒れ模様で明けた。風が強く、ホテルの窓ガラスに
   時々小さな雨粒が吹き付けていた。昨日まで穏やかだった海
   岸線に、白い波が打ち寄せているのが見えた。
                  二〇〇五年六月

   □文章のこと
     
    文章を書く上で、常に心がけていることがある。それは、
   何よりも、読みやすく、わかりやすい文章を書かなければな
   らない、ということである。
    読みやすいということは、簡単に言えば「さらさら」と滞
   り無く読み進むことができること。一方、わかりやすいとい
   うことは読み進めていくだけで、文章の内容が素直に理解で
   きること。時々元へ戻って読み直さなくてはならない、など
   ということがない。そういうことである。
    もうずいぶん昔のことであるが、かつての慶應義塾塾長で
   あり、今上天皇がまだ皇太子であった時の御教育参与であっ
   た小泉信三博士の名著「海軍主計大尉小泉信吉」を読んだと
   きに、これらのことを強く感じ、意識するようになった。難
   しい言葉づかいや凝った言い回しをすること無く、それでい
   て読む者に深く感動を与える文章であった。

    さて、文章は、読みやすく、わかりやすいものでなければ
   ならない。と、そう書いているこの文章は、はたしてどうな
   のであろうか。
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