奈良のそば処喜多原
 岩手県の旅つづき
 温泉津の町
 島根県の旅つづき
 亀嵩駅のこと
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 岩手県の旅つづき

  高村光太郎山荘を見た後、花巻の町へ入った。ここは宮沢賢
 治の町である。
  はじめに花巻農業高校へ行った。ここには、有名な「下の畑
 に居ります…賢治」の黒板のある宮沢賢治の家がある。
  農業高校の玄関へ行き、そこでこの家の鍵を借りて見学する
 のだが、鍵には「賢治の家」と書かれた角が丸くすり減った大
 きな木の札がついていて、これがなんとも温かみのあるもので
 あった。
  緑いっぱいの明るく広大な前庭と、この家を囲む深い木立は、
 ゆったりとした東北地方の風景を象徴しているようであった。  
       
  宮沢賢治記念館へ入る前にレストラン「山猫軒」で食事をし
 た。昼を少し過ぎていたせいか他に客はなく、店内は静かであ
 った。
  椅子やテーブルなどのしつらえがどことなく上品で、おまけ
 に大きな窓の外に新緑が輝いて見え、さわやかであった。

  宮沢賢治といえば、「雨ニモマケズ」を知る程度のことで、
 その全体像はまったく知らず、記念館の資料によってようやく
 その一部を知りえたに過ぎない。
  前述の高村光太郎の場合も同様であったが、ここに展示され
 ている自筆原稿はとても興味深いもので、ゆっくりと読むだけ
 の時間がなかったのが残念であった。
  それにしても、今のように原稿を手書きしなくなってしまっ
 たことをどのように考えたらよいのか、改めて考えさせられて
 しまった。
 温泉津の町

   さて、島根県の温泉津という町へ出かけたときのこと。
   なお、ここで言う「保存地区」とは、国の選定する「重要伝
  統的建造物群保存地区」のことである。

   島根県へ行ってきた。四国愛媛県の松山から広島県の呉へフ
  ェリーで渡り、そこから日本海側へ向けて車を走らせた。島根
  での最初の写生地は温泉津(ゆのつ)の町である。
   JR山陰本線温泉津駅を過ぎると、幾艘かの小さな漁船を浮
   かべた静かな入江に出た。温泉津の温泉街へはここから混みあ
  った家並の間の道を行く。今まで、各地のいわゆる古い町並み
  や、温泉街を見てきたが、ここはまたなんとも独特の雰囲気で
  ある。「ひなびた」という表現がこれほどうまく当てはまり、
  しかも温泉町というのは保存地区の中でもここだけではなかろ
  うか。
   一〇〇〇年以上の歴史があるという元湯と、明治の初めから
  の薬師湯が公衆浴場である。元湯は、背の低い平入りの小さな
  建物で、中央の番台を挟んで左右に男湯、女湯の入り口がある。
  形としては、銭湯のそれであるが、その姿はいかにも古く味の
  あるものである。
   一方、薬師湯は明治から大正にかけての雰囲気を持つ背の高
  い洋風の建物で、灰色の板張りである。屋根の上には小さなも
  のではあるが二つの塔屋があり、当時としてはずいぶんとハイ
  カラなものであったことだろう。
   温泉津の温泉街は、この二つの浴場を中心として何軒もの古
  い温泉旅館が狭い道を挟んで軒を連ねているが、いずれもこぢ
  んまりとしたもので派手さはなく、全体としては湯治場の雰囲
  気である。
   ここへ来るまで、温泉街など絵にはなるまいとほとんど期待
  をしていなかったが、その思いは見事に外れた。
  格子戸や土蔵造りにいささか食傷気味であったせいもあって、
  楽しい発見であった。
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   次回は、石見銀山に近い大森へ-- 二〇〇四年十一月