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 駅ピアノのこと
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 「駅ピアノ」のこと

  奈良での定例の水彩画教室へ向かうため、京都駅で列車を降
 りた。いつものように改札口を出てふと前方を見ると、南北自
 由通路の一角「西口広場」と呼ばれる所に一台のピアノが置か
 れている。近づいてみると「駅ピアノ」とある。テレビ放送の
 番組にこの「駅ピアノ」というのがあって、かねてから楽しく
 見ている。
  いろんな国の駅にピアノが置かれていて、そこを通る人たち
 がさまざまな曲を弾いて聞かせてくれるという番組である。年
 輩のミュージシャンが手馴れた演奏を聞かせてくれるかと思え
 ば、まだ十代だという若者が二人で現れ一人が弾き、もう一人
 が歌うという場面もあった。なかには、次の列車で故郷を離れ
 るのだという、その時間待ちでピアノの前に座ったという人も
 いる。
  世界中の駅に置かれた一台のピアノが、人種も職業も年齢も、
 はたまた男女の区別もなく、たまたまそこを通りかかったとい
 だけのことで、それを弾く人と、そのことをテレビ放送の番組
 を通して見る多くの人たちを楽しませてくれるのである。
  かなわぬことだが、自分もこのようにピアノが弾けたらどん
 なにか楽しいことであろうかと、いつもそんな思いで見ている。
 が、残念ながらそれは今さら無理なこと。ましてや大勢の人た
 ちの前で自信を持って弾くことなど、である。
  さて、話しを京都駅へ戻さなければならない。その「駅ピア
 ノ」が京都駅に置かれたのであった。
           (下へつづく)




     乗り換えの列車までの間に、一つ用件を済ませて店を出る。
    ピアノの音が聞こえる。誰かが弾いているのだ。テレビの画
    面で見ていたその「駅ピアノ」の音が現実に聞こえるのであ
    る。
     胸が躍った。 近づいてみると、静かで優しい旋律を聞かせ
    てくれているのは うら若い女性であった。いつも見ている外
    国の駅ピアノで弾いている人たちはどちらかといえば男性が
    多い。
     弾き終わった女性は、小柄でキュートな雰囲気の人であっ
    た。
     さて、明日、奈良からの帰りはどんな人が弾いてくれてい
    るのであろうか。そんな思いを胸に、ピアノを背にした。

     幸せな日が続いた。奈良からの帰り、列車を乗り継ぐため
    に京都駅西口広場に向かう。ピアノの音が響いている。明る
    くて弾むような、それでいて時には少し淋しげな旋律である。
    何という曲だろうかと近づく。 
     軽やかな指先の動きがとても美しい女性である。
     演奏が終わった。拍手を送り素敵な曲ですねと尋ねる。即
    興ですとのこと。なんと素晴らしいことか。快活で美しいこ
    の女性の人柄が曲に現れていると納得する。
     願わくば、聞く人の心を魅了することのできるこの指先で、
    自分の好きな曲が演奏されたらどんなに嬉しいことであろう
    かと思う。だが列車の時刻が迫っている。
     今日、偶然のこの時刻、そのわずかな時間の幸せないたず
    らで起きた出会いに感謝しながらホームへ向かった。

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