杉原千畝記念館とソラマメのこと 雪の日のこと ![]() 醒ヶ井の駅 白川郷馬狩 飛騨白川郷のこと 目次へ戻る □ 醒ヶ井(さめがい)の駅 水彩画教室からの帰り、いつものように京都駅からJRの琵 琶湖線に乗り、米原駅で降りた。ここで東海道線に乗り換えで ある。 ホームからコンコースにかけては、夏休みということもあっ てか、普段の何倍かと思われるほどの人たちでごった返してい て、その大勢の人達のほとんどが、同じ東海道線の列車に乗り 換える人たちであった。 最後尾の車両までホームを歩き乗り込む。運良く、一つ空い ていた座席に座ることができた。通路は大きな荷物でふさがれ、 冷房がきいているとはいえ、大勢の乗客でムンムンとした雰囲 気である。いつもなら、この列車はたいていすいていて、のん びりと腰を下ろし、ひと息ついて発車の時刻を待つのだが、今 日はまたなんということだろうか。 列車が発車してすぐ、私は次の駅でいったん降り、後からく る列車に乗り換えることに決めた。この息苦しさに無理をして 耐えることはない。 米原の次は「醒ヶ井」である。ここは、明治の初めに始まっ たという「醒井養鱒場」のあるところである。霊仙山(りょう ぜんざん)の山麓に湧き出す豊かな清流を使い、美しい渓谷に 沿って、ニジマス、アマゴ、イワナなどの養殖がなされている ところである。思い出せば、小学校の遠足で来たことのある懐 かしい場所である。 さて、ホームに降りてみると、なんと朝からの蒸し暑さがど こへ消えたかと思うほどの、さわやかでひんやりとした風が吹 いているではないか。ホームにいるのは私一人。向かいの駅舎 に掃除をする女性の姿が見えるがそのほかには誰もいない。 駅舎の向こう、国道二十一号を渡れば名神高速道路との間に 細長く左右に町並みが続いているが、見たところ人の気配はほ とんどない。 (下へつづく) |
駅舎を背にして振り返れば、そこには広く背の高い草が生い 茂り、そのすぐ向こうには小高い山が迫っている。このあたり、 沿線の秋は紅葉が美しく、列車に乗ってその景色だけを見に来 てもいい。と、いつの年も思うほどである。 ホームを端までのんびりと歩いてみる。奈良も京都も夏休み の観光客で混み合い、落ち着くことができなかったが、ここに きて思わぬことから心の休まるひとときに恵まれた。さわやか 風に吹かれながらの三十分は長くはなかった。小さな待合室に 入って間もなく、次の列車がゆっくりとホームに入ってきた。 上へ戻る □白川郷馬狩 その名が「白山白川郷ホワイトロード」と変わった旧白山ス ーパー林道。石川県と岐阜県を結ぶ山岳道路の岐阜県側の入り 口、合掌集落で知られる飛騨白川郷荻町から料金所へ向けてし ばらく行くと、やがて左へ折れる道がある。 このあたり、かつては馬狩の集落があったところ。秋には広 大なススキが原が美しく、先ほどの道を奥へ進むと昭和四十八 年の集団離村に伴って廃校となった分校の跡があり、さらに行 くと驚くほど大きな水芭蕉を見ることのできる大窪池がある。 平成七年、隣り合う越中五箇山とともに世界文化遺産に登録 された飛騨白川郷。多くの観光客が訪れ、その観光客を目当て にして集落は美しく整備された。国道一五六号はバイパス道路 に移り、東海北陸自動車道のインターチェンジができるなど、 環境は大きく変わった。 かつて陸の孤島と呼ばれ、その豪雪に耐えられず集団離村し た馬狩の集落跡に立つと、時代の移り変わりの大きさに言葉が ない。 平成一年の秋、「飛騨高山と白川郷の風景」と題した個展の ために、このあたりの風景を描いた。そして、その翌年の十月、 ふたたびここを訪れ馬狩茶屋に立ち寄った。美しく紅葉した山 々に囲まれ、すすきの穂が風に揺れていた。すすめられて、そ ば粉を練り、わさび醤油で食べる「そばがき」をいただく。 紅葉の季節は短く、十一月になれば、初雪を見るという。合 掌家屋では雪囲いの作業が始まり、きびしい雪の季節を迎える。 上へ戻る |